2014年5月28日水曜日

規制改革で何が変わるのか、という本を読んだ。



世の中は規制だらけ、こうした制度も

ずっとそのままでいいかというと

それは間違っている。

なぜなら作られた時期に都合がいいような内容になっており、

時代の流れとともに大きなミスマッチが生じている。

そのためこれらの変化に追随するよう見直していかなければならないということが趣旨である。

本書によると、日本には規制改革は格差を拡大させるという常識が

蔓延しているようなのであるが、果たして本当にそうだろうか。

弱者どころか強者をよりいっそう待遇しているようにしか感じられないのだがどうだろうか。

真に弱者を守っている規制なのかを解き明かしていく内容になっている。

具体的に規制改革をするとはどういうことか。

それは市場競争を阻害する規制の撤廃および雇用保険、生活保護といった

社会的安全を効率的に行うこととある。

まずは優先度的にも高いであろう雇用、食の問題にかかわる農業、

サービスの質を考えるべき医療、社会福祉のあり方を考えたい介護と保育、

デキる人を育てるための教育、そして住むところも大事である都市・住宅というように

広範囲に亘って現状の問題と改革内容についてを論じている。

中でもおもしろいと思ったのが、期間の定めのない雇用とは何かである。

これは労働者はいつ辞めてもいいが、企業サイドからは定年退職まで

解雇できないという契約であるという。

これは一見すると、労働者よりも企業側が立場が弱いような気がした。

もちろん業績次第でYou're fired.もあるだろうし、労働者側で社会的問題を

起こすような例外はこの限りではない。

あとは医療のところで、どうせならもっとしっかりやるべきだと感じたのが、

医薬品の販売についてである。

現在コンビニなどでの一般小売店での大衆薬販売は一部に限って許可されている。

しかし体内に入れる薬以外も登録販売者の資格がないと販売できないというのだ。

だからせっかく24時間営業でもバイト主体のコンビニでは販売できないという

実質意味のない規制緩和である。

ここは欧米を見習っていつでも買える風邪薬とかオロナインのように

ぜひともなってもらいたいものである。

また教育の規制改革では、なぜ大学は三年間で卒業できないのかについてである。

今は特に優秀な大学生だけが早く卒業できるという扱いだか、

これを生活に困っており、少しでも早く就職する必要のある私立大学生にも

当てはめれば年間100万を節約できるという効果があるのだという。

確かに3年で卒業できる単位数は取得可能だし、優秀な人間をいち早く社会に

出すことができるというメリットもあると思う。

そういうわけで、他にもコラムの部分に読みどころがあるような

気がする一冊である。



規制改革で何が変わるのか (ちくま新書)

2014年5月22日木曜日

消費税政 と官との「十年戦争」、という本を読んだ。




ついに始まった...の消費税の増税までの

長い道のりは、普通のサラリーマンには

到底想像できるようなものではない。


その裏側を克明に描く本書には大いに驚かされる。

小泉内閣から野田内閣の近いうち解散の結末まで、

時には政治家の話し言葉そのものまでもがとにかく詳細に記載されている。

あとがきにもあるように、筆者の綿密な取材と本当に多数の証言で

作り上げられたということが分かる。

ところで「近いうち」という言葉は、はっきり決められない日本人の

曖昧さを表現している言葉のような気がしている。

事実、本当にいつ解散なんだろうと、見ているこちらまでが

イライラさせられたものである。

「私の首相在任中は消費税を上げない。なぜなら歳出に削るところがたくさんある」と

発言した02年の小泉内閣。 しかし、郵政民営化の記憶しかない。

この当時から社会保障目的税化の議論はずっとあったのにもかかわらず、

プライマリーバランス均衡を声高に叫びながら、

選挙に勝つためだけのパフォーマンスを続けてきたのかと、

やはり残念な気持ちを抱かずにはいられない。

実は、これは長年に渡る失意の茶番劇なのではなかろうか。

その途中でおもしろかった部分は、与謝野氏に七年前にさかのぼって修正申告し、

追加納税するのは脱税だ。こんなに多額の脱税をした人はいない。

まさに平成の脱税王と言わしめた鳩山氏。

それは本当に多額の子ども手当である。

また、ずっと後の部分に「どじょう宰相」の名言があるので、ぜひ紹介しておきたい。

「苦しいから次の政権に任せよう、消費税増税はいつか決めれば

いいという議論が続いてきたが、もう猶予がない。

この困難な時期に首相を引き受けて、子や孫のため決断しなければ

いけないことから逃げるつもりはない。

政権与党は一番つらいテーマ、苦しいテーマから逃げないことだ」

そして、確かに逃げずに増税法案は可決した。

また、一度は投げ出したにもかかわらず、それでもなれるものかと

ものすごく意外に思ったのが、第二次安部内閣が発足したということだ。

結果、世の中はいい流れに向かったということもまた。

あと、これは余談ではあるが、まれに難しい漢字で読めない人名というのがあった。

小説ではないが、カナが振ってあっても...

ひょっとすると日頃難しい事を考えている人は、難しい名前だったりするのかもしれない。

それにしてもやはりどう考えても納得できないのが、ジョジョに保険料が上がっているし、

残業代も標準月額報酬に含まれるため取られすぎではないだろうかという

年金制度の問題がある。

その上、現行よりも給付水準が下がるとは一体どういうことか、と。

最低保障年金の月額7万円という数字は何をもって算出されたのか、と。

負担するばかりで、実態はマボロシ保障のためのものか、と。

そして、最後に読み終えて思ったのが、タイトルにあった政と官の

どのあたりが「官」の部分だったのかが全く気づけないほど、

ひたすら政の話が続いていた気がしてならない大長編の記録の一冊である。 



消費税 政と官との「十年戦争」

2014年5月17日土曜日

「思考」を育てる100の講義、という本を読んだ。



ミステリィだけに、どとまらず著者の作品は

色々読んでいるような気がしている。

そして気づいたのが、このエッセイがおもしろいということだ。



昔は、推理小説の作家は人気シリーズだけを書いていれば

良いのだと言う勝手な理屈を唱えていたものだが、最近は段々と

いいものに気づけるようになってきたような気がしている。

この本が特に読みやすいのは100講義それぞれがとても短く

連続した話ではないので、スキマ時間に軽い気持ちでドンドン読み進めていける。

実は周囲にこんな本売れないでしょうと言われたらしい。

しかも本人ですら力を入れて売ろうと思ってすらいない点がまたおもしろい。

100個もあるから迷いどころももりだくさんではあるが、その中で特にオモシロかった

おススメの部分を紹介させていただく。

時間は財産である。

カネでは解決できない問題も時間で解決することもあるという。

時間持ち(ここでは主に若者で定義されている)のほうが価値があって、

憧れの対象にもなり得るというのである。

どれだけ持っているか分からないし、少しずつしか使えないものをどう使うか。

それはカネとともに大事な事であるのは間違いない。

また、意味があることを考える無意味さの話も、斬新さを感じずにはいられない。

意味がないという言葉の使われ方の指摘も鋭い。

やはりモノ書きの言葉の使い方の指摘は「ヤバイ」。

ヤバ過ぎ(笑)なのだとか。

この話もおもしろいので必読である。

最後の方に毎日コーヒーを飲んでいることの話があって、

おいしいコーヒーを飲むためのコダワリも述べられていた。

自宅でおいしく飲めるから喫茶店にも行かないらしい。

ただ、個人的には、毎日のように飲んでいる缶コーヒーの方が

家で淹れるコーヒーよりも断然ウマい気がしている。

ちなみにブラックコーヒーが百薬の長と言えるか、

その理解は正しいのかを検証してもらいたいものである。

もちろんそれは全うな機関に。

あと最後になぜコーヒと書かないかという点について触れている。

これは馬鹿なことらしい、しかも理由を答えないというイヤらしさである。

アクセサリィとかエネルギィと書いてみたり、オーバーではなくオーバだとか、

マイナと書いたりとか、ツイッターをツイッタとしたり

こんな書き方は読み手からすると非常に違和感を覚えずにはいられない。

それはなぜなのか、ここだけは是が非でも解明させたいとともに、

そこまでの拘りがあるのならば、せめてコーヒィとでも書いてもらいたいものだ、

と思わずにはいられない。

そして、ただし奥様(あえて敬称)というフレーズが出すぎなので

かなりの愛妻家であることを感じる一冊である。




2014年5月15日木曜日

今日からモノ知りシリーズ トコトンやさしい アナログ回路の本、という本を読んだ。



トコトンやさしいという点について

実際どうだったのかというと、

正直なところこういった技術的な本はかなり難しい。



しかしデジタル化時代でもなお、アナログを使わないことはない。

特にオーディオ関連はそうではないだろうかと思う。

それにマイコンを極めし者を目指すのなら、アナログ回路を知っておかなければならない、

という思いから借りた本である。

それに惨敗続きのエンベデッド試験においてもこの辺りの知識を補完する事で、

ついに合格できる時がくる、かもしれない...

さて、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の人間の五感についてだが、

これらはすべてアナログでしか認識できないのだという。

確かにあらゆるデジタル電子機器は人間との接点はアナログなのである。

テレビ映像、ラジオなどの音声、スマホのタッチパネル操作、

これらを考えれば確かに納得できる。

今こうして書いている記事も、キーボードに触れてアナログ入力した文字が

デジタルデータに変換され処理されている。

パソコンは0、1の2進数のデジタルデータしか理解できないのだから当然だ。

そして、それがテキストエディタ上で文字として人間に理解できるように

再びアナログ変換され出力している、と、これはよくよく考えればスゴイ事である。

そんな技術の発展についての分かりやすい説明と理解が目指すところだ。

その中でおもしろかったところを紹介しておくと、音と波の部分と

そしてやはりコラムのところに注目したい。

まずは波といえば高校以来のサイン、コサイン三角関数だ。

当時は同心円とサイン波の関係とかさっぱり理解できなかったが、

振幅と波長と周期で音程と大きさに関連していることを合わせて考えると、

今更ながらに腹落ちする。

こうして断片的な情報が繋がって納得できるような勉強の仕方を

義務教育のうちに身に付けられる仕組みづくりが必要だと思う。

次にコラムの部分では蛙の足の筋肉収縮から生まれたボルタの電池、

何とかして電気を貯めたかったという実験から生まれたコンデンサや

数々の失敗から生まれた抵抗、オームの法則、電話器やテレビの発展に

大きく貢献した真空管の話など、こうやって先人の英知の結晶の恩恵に

与っていることに思いを馳せずにはいられないけれども、

後半になればなるほど専門性が高まってくると感じる一冊である。




2014年5月13日火曜日

みんなの経営学 使える実践教養講座、という本を読んだ。





これからは一つの会社で定年まで

ぶら下がっていられる時代はもう終わった。



そんな思いがあると、自分ひとりで稼ぐ力を身に付けるためには

やはり色々な事を積極的に学んでいかなければならない。

もしかしたらゆくゆくは会社を立ち上げるなんてこともやるかもしれないし、

そのために経営学は勉強しておく必要があるのではないかということで借りた。

如何せん良く分かっていないのだから、これも一つの改善になる筈だ。

そういえば、あのドラッカー曰く、マネジメントは一般教養であるのだとか。

それは自分の考えを働かせ、物事を正しく判断するための基礎となる知識であるという。

言うなれば、自分の価値観または色眼鏡といったところだろうか。

そして、経営学はなぜ必要かから、職場でやる気を起こし楽しく働くための

モチベーションについても論じている。

ちなみに現在のインセンティブ代表格はカネになるそうだ。

それは、当然といったところではないだろうか。

人はカネのためだけに働くのではないとわかってはいても、

やはり現実問題カネは必要なわけで、あればあるだけ欲しいもので、

いくらあってももっと欲しいとキリがないとても厄介な代物なのだから。

このカネというものは人類最大の発明品になるようだ。

相手の欲しいものがなくても、カネを使えば自分が欲しいものを持っている人に対し

交換が成り立つことやほとんど永遠に蓄積できることが理由として挙げられている。

あとこの本で一番興味が惹かれたところは、経営戦略策定のための

基本的な理論とツールの章であった。

勝間和代女史お得意のフレームワークが紹介されている。

具体的にはSWOT分析、PPM分析、3C分析や5フォース分析、コア・コンピタンスである。

これらは情報処理の勉強でも何度も出てきてはいる言葉であるが、

そういったテキストではどうにもイマイチ分からないと思っていた部分があった。

しかし、本書を読んでほんの少し理解できたようなきがする。

そしてこれはぜひ考えたい部分が経営戦略の二つの挿話についてである。

一つはハンガリー軍の生還について、もう一つはトナカイの骨で狩場を

決める部族の調査結果についてである。

この話のまとめは、それは結果に結びつく確かなものではないが、

一つの過程として現場が落ち着きを取り戻し、新しく見えたものに対して

軌道修正していくことを繰り返せば、最終的に良い戦略となって

成功がついてくるというものだ。

いかに人を動かすかという経営学に馴染みがないと、

大半が頭に入ってくるような話ではないのだけれども、

孫子の兵法の真の意味を読み解いていたりとかの部分は

とてもおもしろい一冊である。



2014年5月2日金曜日

「日本経済」はどこへ行くのか2 再生へのシナリオ、という本を読んだ。



前回の1 危機の二〇年に続いて

随分と時間がかかったけれど

やっと読み終えることができた一品、

さすがの第2巻である。

例によって驚きな点を挙げておくと、

最初のところでドラッカーさんに叱られるという部分がある。

ビジネスの世界では知らない人はいないあの有名な

思索家であり経営学者のことである。

まさか著者がドラッカーと知り合いだったとは...

1979年代末以来のかなり長い付き合いがあったのだという。

きっかけは「見えざる革命」の著作を読んで感銘を受け、

自宅を直接訪ねたことから始まったのだとか。

本を読んでから筆者に会ってみたいと思う人はそうそういないものだと思う。

しかし、それでも良書との出会いが羨ましくもあり、

かつ実際に会いにいった行動力はとても素晴らしいと感じた。

おそらく3類型の心理学に当てはめると赤タイプの人だろう。

またこの行動については、外国にいたからこそ実現できたのだろうか、

日本ではまず自宅を訪れることなどできないだろう。

きっと編集部とかに掛け合っても個人情報の観点からまず自宅は教えたりしまい。

ファンレター辺りからはじめるのが無難なところか。

その他におもしろいと思ったポイントを挙げておくと

もう140年近い歴史のある日経新聞の生い立ちだとか、

FTA(自由貿易協定)と絡めたTPPの話、

高齢者の定義の話やアベノミクスには欠かせない黒田日銀の話がある。

その中でも特に見ておきたいのが、

これからの日本を考える上では避けては通れない高齢者の問題だ。

経済が活性化しやすい人口ボーナスの時代が終わり、

現役世代が非常に苦しい人口オーナスの時代に移行していっているのだ。

こうなってくると、そもそももう65歳は高齢者としては扱えない。

何しろ人間は70歳ぐらいまでは、言語力や問題解決能力が

向上するというデータもあるくらいだ。

退職後のおよそ10万時間という自由時間を

どう使うかを考えていかなければならない。

ちょっとした風邪とかで無駄に病院に行ってしまうような

ことは断じて避けなければならないのだ。

しっかりと健康を確保して、終末医療や介護を要する年数を

できるだけ短くする努力が必要である。

今後必要となってくるのは、多様な働き方と

学び直しができる再挑戦できる社会である。

誰もがいつでも能力開発できるようになっていないと、

若者だけがシワ寄せをくらうという何とも割りの合わない結果になってしまう。

そんなダイバーシティを重要視する超高齢化社会、超長寿社会において、

バラマキではなく種まきをしていくことで

次なる新しい成長や活力を生み出していかなければならないと感じる一冊である。